「沈黙の同意」まだ繰り返すのか

「沈黙の同意」まだ繰り返すのか――原爆記念日を前に【転送歓迎】

宮内勝典/海亀通信http://pws.prserv.net/umigame/

 
アウシュビッツからの帰路、ベルリンに立ち寄ったとき、初めて大津波のことを知った。家々が燃えながら押し流されていく光景に足がふるえた。再びパレスチナにもどり、難民キャンプで働くドイツ人青年のパソコンを借りて調べていくうちに茫然となった。福島原発が大事故を起こしていた。「きみたちにとっては、ヒロシマナガサキ以来だね」と、ドイツ人青年が静かにつぶやいた。その通りだと思った。我々はついに三回目の被曝をしてしまったのだ。水素爆発の白煙が小さなキノコ雲に見えた。

夏になると、お盆が巡ってくるように原爆記念日がやってくる。この日が、ずっと苦手だった。遠い親戚の法事か、何回忌かに、どうしても義理を欠くわけにいかず付き合うように重く気分が沈む。

これまで原爆を製造したニューメキシコ州のロスアラモス研究所や、最初の実験地となった白い砂漠を巡り歩いてきた。キノコ雲が七〇回近くたち昇ったビキニ環礁や、水爆実験で深い穴があいた海に潜ったこともある。第五福竜丸死の灰を浴びた青い大海原も見てきた。それでも「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という言葉が空々しくて、憂鬱だった。

だが今年は一変した。風化しつつあった記念日が、原発事故という逆光に鋭く照らしだされてしまったから。なぜ憂鬱だったのか、いまようやく腑(ふ)に落ちてくる。敗戦後の焼け野原から経済大国へ登りつめてきた母国が、核という危ういエネルギーに依存していることを咎(とが)められているような気がしたからだ。

この地震列島に54基もの原発が林立していることに、我々は改めて気づかされた。いつの間にこんなに増えていたのだろう。快適な生活や経済ばかり最優先しながら、それとなく黙認してきたからではないのか。ポーランドの作家、ヤセンスキーは『無関心な人々の共謀』(工藤幸雄訳)でこう語っている。

  敵を恐れることはない……敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
  友を恐れることはない……友はせいぜいきみを裏切るだけだ。
  無関心な人々を恐れよ……かれらは殺しも裏切りもしない。
  だが、無関心な人々の沈黙の同意があればこそ、
  地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。

そう、我々は「無関心な人々」そのものであった。なんの勝算もないまま太平洋戦争へ突き進んでいくときから、原発三基がメルトダウンするまで「沈黙の同意」によって、過ちを繰り返してきたのではないか。

そんなことを思いながら八月の空を眺めていると、トカトントン、という乾いた音が聴こえてくる。むろん太宰治の小説に出てくる音であるが、脳の奥、どこかあっけらかんとした虚無の淵から響いてくる。

あの八月十五日も快晴だったそうだ。ヒロシマナガサキから風に運ばれてきた放射能が、積乱雲の湧きたつ夏空に満ち満ちていたはずだ。だがいまは、トカトントン、という復興の槌(つち)音は聴こえてこない。津波におそわれた港や町は、さら地のままだ。為政者たちは無策のまま、愚かな政争に明け暮れている。この国はいまや無政府状態ではないのか。

「国破れて山河あり」
杜甫が詩が浮かんでくる。コンクリートで固められた石棺のようなビキニの島も、脳裏に浮かんでくる。日本列島がそうならないことを祈る。ビキニ環礁のほかの島々は青々としている。福島原発から30キロ圏も、いま緑の盛りだろう。わたしの友も圏すれすれの山里で暮らしている。今年もジャガイモを植えたそうだ。そう、山河はある。たとえ放射能まみれになっても、この山河だけはある。
東京新聞 8月5日)