平敷兼七さんへの手紙

急なことでとても驚いています。29日の昼間のお電話が最後になるとは思いもよらず、あの日南風原文化センターへ会いに行けば良かった、なんて今更のように思って悔やんでいます。豊平ヨシオさんのところへ一緒に行きましょうという約束は、叶わぬものとなりました。


ニコンサロンでは10月3日に今年度の伊奈信夫賞の選考会をやっていて、その場所へあなたの訃報が入ったそうです。畠山さんが真っ先に私へ電話をしてくれました。私は、久高島でアイヌの遠山サキさん親子を招聘してイベントを催した翌日で、肩の荷が下りていた頃でした。

去年の銀座ニコンサロンでの展示、プリズム展、そして南風原文化センターの最後のイベントからのお付き合いなので、1年に満たず、これからもっともっと話をしたいと思っていたので、電話をかけたらいつものどもり声が聞けるのではないかと思っていて、、、まだ、信じたくない気持ちでいっぱいです。

貴方が比嘉康夫さん始め、多くの方の最後の別れを撮影しているのを写真集で見せてくれましたが、私が貴方との最後の写真を撮影することになるとは思ってもいなかったことで。でも、あなたとまた会うために、この日のことを忘れないために、何枚か写真を撮らせて頂きました。現像するときに、また、あなたに会えるでしょうか。下世話と思われるかもしれませんが、写真をやっていて良かった、と思いました。

素敵な奥様と、私と同じ頃の息子さんと娘さん、かわいいお孫さんに囲まれて、平敷さんらしい、式だったように思います。


古宇利、上運天の生家跡、久高を、平敷さんと須藤さんと3人で動いた日々は忘れません。私が上運天で撮った写真のお礼は頂いたのに、私は久高の写真のお礼を言えなかった。だから、届かないかもしれないけれど、ここでお礼を言わせて下さい。


とても大切な時間を、ありがとう。