永劫に向けて

秋に迫る久万美術館での展覧会の関連ワークショップ。答えが見えないワークショップに敢えて挑戦。(美術館のログはこちら → 

写真に写っているオバケカメラ(発案:佐藤時啓氏)を用いて写真機と目の構造の説明をし、写真の歴史を説明し、本題へ。

事前に「家にある古い写真の中で、地元(久万)で撮った写真」を持ってきてもらうようにお願いしていた。しかし、そもそも日本に写真が渡ってきてからわずか140年。一般庶民にカメラが流通するのは戦後のことだろう。残っている写真の多くは、旅行先や結婚・出生・入学式など人生の節目など。日常の風景はなかなか残っていない。(そのことがわかっただけでもひとつの収穫である。)それでも、持ってきてない写真のことを聞き出すと、アルバムに入っていて重かったなどを理由に、まだありそうだった。「昔の写真と見比べて、今の風景を」と「未来に残したい風景」を撮影してくることを夏休みの宿題とし、ひとまずお別れ。9月、不安はあるけれど楽しみにしたい。

観光地だと旗をあげなくても、ここには流れ星が流れ、ホタルが飛び交う。空と土と水との語らいが日々を繋いできた先人のメッセージを未来に繋ぐことのできるのは、この土地に住む人たちしかいない。日本、いや世界を見渡しても、明るいとは決して言うことが出来ないけれど、今回の写真が、彼らの子どもや孫、そして、もっと先の人々へのメッセージになるだろう。


そういえば、ねむの木が至る所で満開だった。そこの場所だけ幻想的に見えていた。