うんにゃん

幼なじみのお父さんが亡くなった。


幼なじみの彼は、お向かいさんの孫だった。具体的な記憶は遡れないけれど、人生ではじめてのおともだちだったような気がする。私は彼のことを「うんにゃん」と呼んでいた。名前は「もとき」君だったから、なぜ「うんにゃん」と呼び始めたのか誰もわからない。「うんにゃん」は車で15分くらいの所に住んでいたから、一ヶ月に一回は一緒に遊んでいた。保育園に入るとお盆やお正月だけになって、小学生・中学生以降は滅多に会わなかった。高校生になる頃、彼のお母さんが亡くなり、私も引越をしたので「うんにゃん」と最後に会った記憶は、確かなものとしてどこにもない。


お向かいさんは、当時60歳くらいの夫婦で、偶然母とは同郷だったから、母も自分の両親のように慕っていたし、私の家出先でもあった。兄と喧嘩をしたり、両親がいないときは、「おじちゃん」と「おばちゃん」の家に行き、花札をしたり演歌を聞いていた。「おじちゃん」はお酒を呑んでほろ酔いになると、必ず「あいちゃんは太郎の嫁になる〜」と謡っていた。「おじちゃん」は毎週必ず競馬に行き、私はその儲けを狙って、花札でお小遣いを稼いでいた。私のアルバイトの初給料でお寿司をごちそうすると、「おばちゃん」は本当に涙を流した。いまでも忘れられない光景で残っている。


「おじちゃん」も「おばちゃん」も私にはとても大切な人で、今回亡くなった息子(うんにゃんのパパ)は人見知りをするせいか、私にはきちんと話した記憶がない。けれど、今日お通夜に行くと、小さかった頃の「うんにゃんのパパ」に似ている「うんにゃん」がいて、その横には小さかった頃の「うんにゃん」と「私」のような「うんにゃんのこども」がいた。彼のお姉さんは、彼のお母さんの生き写しのようにそっくりで、タイムスリップしたような瞬間があった。



「うんにゃん」の両親と「私」の両親は、全く違う。死に別れする夫婦と離婚をする夫婦。「おじちゃん」と「おばちゃん」のようにずっと仲良い夫婦もいる。。冠婚葬祭でしか会わない人というのはいるけれど、今日お葬式で鉢合わせした両親に挟まれ、これほどまで会うと気まずい二人というのも世の中にはいることで凹んだ。

鉢合わせした後は、母とは口を利けずに帰宅。今日はいろいろな想いでずんぐりしている。やっぱり私は単身でスペインに行くだろう。