アニミズムという希望

山尾さんの誕生日はあたたかな秋晴れだった。


2001年8月28日に山尾三省さんは62歳で生涯を終える。亡くなった後に放送された「あなたの遺言を忘れない〜屋久島の森に行きた詩人のつぶやき」のVTRを見る。1977年、屋久島の廃村に一家で移住。その当時は村に2世帯。番組を作った2001年には15世帯と増えていた。日本各地で限界集落を目の当たりにしてきた私には信じられない光景だった。闘病生活から亡くなる日まで。山尾さんの語りと山尾さんをきっかけに屋久島で暮らすことになった方々と妻の春美さんの語り。その語りに続くように、5人の友人とスペシャルゲスト2人が壇上でリレートークを行った。生前お会いしたことのない私にも、山尾さんがどんな性格で、”こんなときどうした”という状況がひとつひとつ浮かび上がってくる。大学時代に数回通ったことのある国分寺のほら貝は、山尾さんとその友達で始めたバーだと知った。薄暗いバーで友人と制作や恋愛について語っていた。ひとつひとつのエピソードがかけがえのない出来事で、彼らの語りで山尾さんがあの場に再生していたのは確かのこと。ぐぐぐっと涙を堪えながら聞いていた。スペシャルゲストは宮内勝典さんの奥さんと花崎皋平さん。宮内さんは九州での講義が一年前から予定されていてどうしても来れなかったので、宮内さんの伝言を持って「宮内勝典の奥さんです。」とマイクを持った(なぜかここで私の涙がひとつ落ちた)。宮内さんの丁寧な文章が読み上げられたあとに、山尾さんと宮内さんのエピソード。宮内さんが18歳の時に山尾さんに出会い、日本アナーキスト連盟に連れて行かれたのが最初だという。そして数年後、新宿の路上で宮内さんは奥さんに出会う。奥さん「山尾三省って知ってる?」宮内さん「友達だよ。」その数日後、宮内さんが奥さんを初めてデートに誘ったのは「山尾さんの家の屋根を修理しに行くんだけど、一緒に行かない?」という言葉だったというエピソードだ。(『金色の象』とはその流れはちょっと違う。)10月に板橋から引越した宮内さんの新居は、あの、神田川の水源近くだという。これも不思議な縁である。花崎さんは、長屋のり子さんとの出会いによって知る。山尾さんの精神とアイヌの世界観の共通項を語った。
第二部では、鎌田東二さん/今福龍太さん/田口ランディさん/長屋のり子さんによるシンポジウム。司会は山と渓谷社の元編集者の三島悟さん。それぞれの思いがほとばしる。やっぱり隣で成長をしていた長屋さんの語りは、兄の姿をしっかりした輪郭にする。「よく見る人だった、よく判断する人だった、よく祈る人だった、そして、よく泣く人だった。」躁々としている長屋さんに比べて、山尾さんは鬱々としていたという。物語でも泣く場所は決まっていて、その頃が近づくと妹は話をそっちのけに兄の顔をじっとみる。「もうすぐ泣く、もうすぐ泣く、、、ほら、泣いた」と。60年安保闘争の話題から、意外にも寺山修司の話となり、先日ノーベル文学賞を受賞したル・クレジオの話になり、ル・クレジオ山尾三省さんの共通点の話が繰り広げられ、私はまだ生まれていない時代の空気を知識を頼りに思い浮かべた。1935年生まれの寺山修司/1939年生まれの山尾三省/1940年生まれのル・クレジオ。3人は同じ時代の空気を吸って生きていた。同じ音楽を耳にし、同じニュースに心を動かされ、やるべきことを声と言葉で展開していった3人。とても興味ある話である。また、現代詩との比較も行われた。同世代の吉増剛造について今福さんが語る。山尾さんの詩と現代詩手帖を舞台に提示する詩人の言葉。最近私がとても気になっていることであるので、この続きはどこかで考えたいことである。

宮内さんの海亀通信を引用。文学とはつまるところ狼やコヨーテが遠吠えする、あの声ようなものだ。このシンポジウムの中でも似た言葉があった。「人類はこれからも小説を読み続けなければいけない。なぜなら、小説家や詩人は世界に問いを出し続けている人であるから」。この問いが、宮内さんの言う所の遠吠えである。

休憩時間、ロビーへ出ると知っている人が数名見える。集客はざっと300名以上のように見えた。
第三章では、山尾さんと縁のある方々が山尾さんの詩を歌う。出会いはそれぞれであり、ひとつひとつの場所から生成された歌。私は歌うことにコンプレックスを持ち、なかなか人前で歌うことができないが、今日は歌う本来の意味を教えてもらった気がした。


打ち上げに参加したかったが、やることがあり帰宅。お茶の水本郷通りを歩いていると、都会の喧騒とは違う静けさを感じた。すっかり忘れてしまうけれど、ここは神田川沿いで耳を澄ませば風と水の音が聞こえる場所なのだ。

このブログを書きながら《ほら貝》を調べてみると、今年8月一杯で閉めていたことを知る。時代は変わる。私たちは経験を元に新しい運動をしなければならない。
また、後日知ることではあったが、宮内さんは九州大学の講義のあと、琉球大学の山里勝己さんと一緒にいる。山里さんは山尾三省さんを琉球大学の講座に呼んだ人である。(その講義録が「アミニズムという希望」というタイトルで出版)。きっと、九州でも山尾さんの誕生日に杯が交わされたことだろう。


私が好きな詩を、鎌田東二さんも好きな詩として挙げていたので引用します。


一日暮らし


海に行って 海の久遠を眺め お弁当を 食べる
少しの貝と 少しのノリを採り 薪にする流木を拾い集めて 一日を暮らす
山に行って 山の静けさにひたり お弁当を 食べる
ツワブキの新芽と 少しのヨモギ 薪にする枯れ木を集めて 一日を暮らす


一生を暮らす のではない ただ一日一日
一日一日と 暮らしてゆくのだ