港大尋とがやがやとCD

aitakaha2007-05-05

港大尋さんと出会って4年。ASIASNPO芸術家と子どもたち)の手伝いで参加した小学校の授業でゲストのアーティストが港さんだった。それから港さんの案内で出かけるイベントというのが1年に1度くらいあって、その度、私の活動に繋がって来ている新しい人と出会いがある。「がやがや」はその一つだ。


出会いは1年前の5月27日。シアターIWATOで港さんの3日連続ライブが行われ、最終日が「港大尋とがやがや」のライブだった。行くまでは「がやがや」はなんのことか全く知らなかった。ライブや演劇は、同じ講演であっても何回も行くという私の習慣からその日も下調べなしで、また港さんのライブに行くという心持ちで向かって行った。始まってわかったことで、がやがやは、健常者と障害者の20人くらいのグループだった。がやがやしながら舞台に集まった。楽しそうな表情に惹かれ、見ているのか、参加しているのかわからなくなっていた。ひとりひとり存在感があって、ライブが終わった後に全員の顔仕草が思い浮かんだ。誰が抜けても成り立たないライブだった。一緒に歌いたいとライブ中始終思っていた。

ご好意でワークショップに参加する機会を頂いた。はじめましては山田珠美さんのワークショップ。がやがやは、集まると一番始めに「マルマルマル」をする。みんなで丸く輪になって座り、振り付けと共にマルマルマルという民謡を歌う。丸く座るから全員の顔が見え、全員が全員とアイコンタクトをとれる。はじめは「この新しい人は誰だろう」という視線を受けていたが回を重ねることにみんな優しく話しかけてくれ気がつくと手をつないでいたりをした。

がやがやのみんなは、身体を動かすことと歌をうたうことが大好きだ。私は(演劇では大きな声を出していたが)大きな声で歌うという経験は小学生まで遡る。嫌いなのではないが、避けてきた。でも、ここでは思い切り歌うことができた。港さんの音楽だから歌いたくなるということもあるかもしれない。飛んだりはねたり、手足を自然に動かしながら身体で歌うという経験をする。中学生から音楽の成績は良いものではなく、そのことが私が音楽から離れた理由のひとつだった。カラオケも行きたかったが人に歌声を聞かれることがどこかで怖く断ることを続けていた。中学生の頃友達との間で流行っていたJ-POPは、歌詞が気になって音楽を聴きながら食事、とか、聴きながら読書とかできず、音楽を生活にとけ込ませることができなかった。本を買うようにCDを買う、という経験もない。でも、決して嫌いではなかったと思い出すのは、中学生3年間、合唱委員をやっていて自分のクラスが3年連続優勝していたことがあった。きっと、歌を歌うのは好きだったんだろう。

がやがやのワークショップに参加しているうちに、去年のライブをCDにするという企画がある、と聞く。そのために1ヶ月に2回づつくらいこれから練習をして、次の春、レコーディングをするということだった。あっという間に、練習は重なり、先日レコーディングまで終わって、あとは発売にむけての作業となった。私は、デザインをすることになって、歌っているときの楽しさや歌った後の高揚感をどう絵と文字で表現するか、先日録った音を聞きながら絵筆を踊らせている。と、楽しそうにやっているようで先が見えない作業中。



「音楽はやらなきゃ損みたいなことろがある」と、港さんは言っていたことがある。やらなきゃ損、ってやってみないとわからないところがある。今回はやってみてわかる、という経験をずいぶん沢山させてもらっている気がしている。