僕のうしろに道ができる

However, I'm crying yet. I'm thinking it need to alive.


一昨日、日本のドキュメンタリー映画を拝見した。「僕のうしろに道ができる」というタイトルで、日本では12月8日、完成試写会を岡山で行ったそう。英語のサブタイトルがまだ完成していないため、ここでは、サブタイトルが完成している35分バージョンの上映だった。「1/4の奇跡〜本当のことだから〜」という、前作品は2007年に完成していて自主上映で広がっているらしいので、山元加津子さんについて知っている人は少なくないのだろう。

脳幹出血で突然倒れた宮ぷーこと宮田俊也さんと、今まで治すことが出来ないと言われていた脳幹出血に一度も諦めずに立ち向かう山元加津子さんとその周辺の人たち。植物人間だと診断されている人にも、必ず意識と感情があると信じ、倒れた当日、「3時間、それを万が一越すことが出来ても3日の命です」と医師から伝えられた山元さんは、「大丈夫です。」と言うところから、始まる。


これは、障害者を持つ家族に勇気を与えてくれることはもとより、将来、誰もが突然病で倒れる可能性がある現代に生きる私も含め全ての人の勇気にもなるだろう。

        • -

僕は宮田俊也といいます。特別支援学校の教員をしていました。2009 年2 月、脳幹出血で倒れました。主治医の先生は脳幹出血によりもたらされる深刻な結果を、ありのままに同僚のかっこちゃんこと山元加津子さんに伝えました。 「先生、でも大丈夫です」かっこちゃんは主治医の先生になぜか、そう答えたそうです。
病院のスタッフの皆さんや周りの人のおかげで、僕は回復してきました。それでも意識が戻ることはないと言われていました。 しかし、かっこちゃんは僕に意識があることを信じて、二人で意思伝達の方法を模索する日々が続きました。そしてさまざまな意思伝達装置やスイッチの工夫などによって今では伝えたいことを伝えられる術を得ました。そもそも人見知りで、他人と話をすることが得意ではなかったのですが、コミュニケーションの手段を失うことの恐ろしさを身をもって体験しました。意識があるのに、言葉を発することのできない僕はまるで透明人間で、身体の位置などの不具合を訴えたくても訴えられません。それ以上に自分自身がここにいるという存在を気付いてもらえないこと、他人に分かってもらえないことの孤独感と絶望感は相当なものでした。今の僕の目標は、自在に動く身体に戻ることです。かっこちゃんの鬼のリハビリ(笑) のおかげで、日々元の身体を取り戻すための道を歩み続けています。 様々な経験とリハビリを通じて痛感したことは、自分が何を感じ、何を考えているかが、相手に「伝わる」ということの大切さです。コミュニケーションがもうとれない、と思われている方でも、もしかしたら意識はあるかもしれません。 というよりも、自分の経験上、絶対気持ちはあるはずです。
どうぞ皆さん、ご家族や友人・知人の方で、意思の疎通ができないと思われている方がいらっしゃいましたら、語りかけてみてください。そして、もし気持ちが通じたら、あらゆる手段、方法で意思をくみ取って下さい。

僕の事例は決して奇跡ではありません。僕の事例は、当たり前の事実です。僕の願いは、どんな状態であっても、すべての人が表現方法が違うだけであって、気持ちを持っているということを、みんなが当たり前に受け止めて、その意思をくみ取る手段をみんなが知っている世の中にすることです。一人でも多くの方が、気持ちを通じさせることが当たり前にできる日常が送れるようになることです。僕も、そのためにこの白雪姫プロジェクト立ち上げメンバーとして日々活動してまいりますので応援をよろしくお願いします。

平成24年4 月 宮田俊也



I try to translate what Mr.Toshiya Miyata said.

My name is Toshiya Miyata.I was working at special support education school.On Feb 2009, I was stricken with a cerebral hemorrhage. The doctor told about my disease to Miss Katsuko Yamamoto, she is my former colleague, and her nickname is Kakko-chan. In general, my disease is incurable.However, she said to my doctor ‘Hey doctor, it is no problem.’

I’m recovering from my disease, because everyone of hospital and my friends took care me vary kindness. Before then, my disease was said it was an incurable disease. But Kakko-chan believes that I have consciousness, and we was trying how to communicate with each others. Now, we knew how to talk what I want to tell to another person by special device and some switches.

to be continued.