大好きだった友人が亡くなった。


東大病院のロビーで監督と雑談をしていると、登録をしていない携帯電話から電話がかかってきた。友人の旦那さんだとすぐにわかり、1年前くらいに車に乗せてもらった記憶からお礼をいう。用件はなんだろう、と耳を傾けると「昨日、心筋梗塞で亡くなった」のだという。「嘘でしょう?」と何度か言葉にしたりしなかったり、頭と口の間で反芻している。お別れ会の案内をもらい、彼を労う言葉も見つけられず、電話を切った。

監督が、横にいてくれて助かった。でなかったら、私は冷静にその晩を過ごせなかっただろう。


20日午後5時ころに自宅で倒れたという。


彼女とは年は同じ、お互い少しジャンルは異なるけれど、日本の基層文化に根ざした記録映画の作家(私の場合は監督)の近くにいたということもあり、見ている風景が似ていた。知り合って3年も経っていないけれど、未来、長く付き合いたいと思っている友人の一人だ。

16日の午後、私たちは新宿の面影カフェでお茶をしていた。春ころから諸事情で仕事を辞め、なんとかどうにかして前向きに精を出している彼女に、私は一緒にやりたいことを話した。無理にではなく、アイディアがでたら話してほしいと言った。3時間くらい談義して、別れた。会計の際、以前お茶をしたときに私が出したこともあって、今日は出してくれるという。「最初で最後だと思うから、今日は出させて。」と。


そして、本当に最後になってしまった。今思うと、あの時、別れの挨拶をしに来たのではなかったか。だとしたら、私は死に至らない言葉をかけれなかったのか、悔いが残る。


22日のお別れ会には、彼女の未来に希望を見ていた諸先輩の映像関係者が多く見えていた。本当に惜しい。けれど、彼女の今までを無にしないようにやらなくてはいけないことが沢山あるように思う。


ひとつひとつ、これから、一緒に実現していきたい。彼女の旦那さんも、彼女がいままで知り合った人たちも、私も、そう思っている。


ありがとう。また、お茶しようね。ちひろさん。


彼女が関わっていたドキュメンタリー映画「タケヤネの里」

最後のお茶の時に、彼女も執筆しているこの映画のパンフレットをもらった。東京ではまだ未公開だけど、待ち遠しく思う。