トイレの未来

日本ほど、きれいなトイレの国はないのではないだろうか。多く海外に行ったことはないけれど、都会のビルや高速道路のサービスエリアのトイレを利用する度に、感歎としてしまう。TOTOINAXはトイレのデザインを含め最高のサービスをしてくれる。



私の知り合いがいる陸前高田では、まだ、水道が通っていない。昨日も、出会った人たちと被災地の話をしていると、トイレの話題になった。一人の人がコンポストトイレについていろいろと教えてくれた。生ゴミを捨てるコンポストについては、我が家もやってみようかと話し合ったことがあるから知っていたけど、トイレについての知識はなかった。


匂いも発生しないし、完全に乾燥させれば問題なく堆肥にできるということ。電気の有無は選択できる(手動のものもある)し、水も定期的な清掃以外は必要がない。用を足す度に大量の水を流し、下水道では沢山の殺虫剤が撒かれ、電気を必要とする下水道のことを思うと、とても有意義な話だった。


津波によって、被災地の下水道処理施設が流された。地震直後、仙台に住む友人からトイレが使えないという連絡を受け、猫砂を5袋くらい送った。毎日、最低5回位利用するトイレがないというのは本当に不便なことだと思う。お風呂のように入らないわけにもいかない。

下水処理場の多くは沿岸部に集中している。家庭から出た汚水や側溝から入る雨水を傾斜を使って管路で流すので、処理場は標高の低い所に設けられるそう。地震直後は処理場の汚水が逆流し、相当な悪臭だったと聞いた。千葉県浦安市など液状化現象によってマンホールが隆起し、下水管路が断絶した地域もある。


そもそも、日本での下水道の始まりは、明治12年。文明開化と共に流行したコレラ菌の対策として、ロンドンからバルトン上下水道技師として招聘。(バルトンがその後建設した浅草12階凌雲閣の特集のテレビ番組で知った)。しかし、全国的に普及するのは、第二次世界大戦以降、産業の発展に伴い、工場等の排水によって河川や湖沼などの公共用水域の水質汚濁が顕著になってからという。いまはあたり前の「ものこと」を、辿ってみると昭和30年、40年以降のことは少なくない。原子力も例外ではない。しかし、生まれたときにはあたり前のようにあった「ものこと」について、私は、その事実を意識的に持たないと忘れてしまう。


昔の暮らしと現在に至る過程を知り、今ある技術を理解し利用することが、「脱原発」への意思表明だと思う。電気や水に関わる生活をひとつずつ改善していきたい。


調べていると、こんなニュースも。

東日本大震災で下水管施設の被害を受けた千葉県習志野市は22日、一部地域の汚水を市内を流れる菊田川を経由し、東京湾に直接流していることを明らかにした。市では「放流はやむを得ない措置」としているが、復旧には長期間かかるとみられ、海水汚染が深刻化する恐れもある。市によると、震災による液状化で臨海部の上下水道が被害を受け、現在も袖ケ浦地区で約700戸、香澄地区で約800戸の下水管が使えない。上水管は21日までに大半の地域で復旧したが、生活排水は下水管に流されるため、両地区では汚水がマンホールからあふれる事態が起きた。このため、市は下水管を雨水管に接続し、汚水を同市香澄から菊田川に排水して東京湾に流すことを決めた。



沖縄では、個々に浄化槽を設置することが義務づけられているが、経済的な理由でほとんどの生活排水は海へ垂れ流しだという話も聞いた。




参考ホームページ:
下水道の歴史  http://www.mlit.go.jp/crd/city/sewerage/data/basic/rekisi.html