歸去來兮(1)

今年9月から愛媛県久万高原町久万美術館にて行う写真展のタイトルが決まった。


歸去來兮(かえりなんいざ)

今月12日、山ノ上ホテルにて館長の高木さんと学芸員の神内さん、作家3名で打ち合わせを行った。このタイトルを手渡された時、私の心中は、ホッとした。

吉祥寺で初顔合わせをしたのが、丁度一年前である。一年かけて久万高原町の春夏秋冬を撮るという企画。私自身は現役大学院生であり、個人名で作品発表をしたのは遡ること小さいグループ展を除いて5年ぶり。5年の間は、舞台やドキュメンタリー映画の制作をしながらサラリーマンをしていたので、作品を作るということは久しぶり。内心この時点では萎縮していた。

日本各地を旅してきた経験を頼りに、挑戦。昨年8月から撮影が始まった。

訪れる度に、久万の現状を知る。自然の中で暮らす人々。都会から向かう私には緑も水も豊かに映る。でも、本当にそうなのだろうか?お米も野菜もお酒もおいしい。その裏ではどのように人々は暮らしているのだろうか?レンタカーで広大な町内を移動しながら疑問は増える一方だった。税金、田畑を営んできた人と公務員をしてきた人の年金の差異、田畑に課せられる理不尽な工事費。純粋な矛盾がいくつも浮き上がる。田畑では生活できない仕組みが国レベルで出来上がり、若い人がこの町に残りずらい現状がある。町に残る若い人の多くは、明るい日差しを外に置き、薄暗い町役場で働いている。そのことを目にしながら、写真の限界も感じている。ドキュメンタリーとしての写真の可能性はあるのだろうか?写真という表面的なメディアを持って、私はなにを語ることができるのだろう?

そんなことを思ってばかりではだめで、地元の人とおいしいものを食べ、おいしいお酒を呑み、山を眺め、この地元の良さを存分に堪能する。天然の鮎、天然のわさび。水がきれいな故に食べることのできる食材は山ほどある。ここで暮らす人々も、大変ながらそのことに幸せを感じているのだ。何千年も昔、この土地に暮らし始めた人のことを想いながら、この土地の豊かさが残ることを想いながら。。。